【日記】自分の送別会に、行きたくなくない??

2024年5月、月曜日の日記。

今日は仕事は休みだったけれど、ずっと寝てばっかりだった。昨日、自分の送別会があり、そこで消耗しきった体力を回復するのに、丸一日を要した感じだった。

最近、約数年間、新卒から勤めていた部署から異動になった。

みんないい人たち(というか飲み会好き)で、たくさん送別会を企画してくれる。それこそ、最終週は連日飲み会が詰め込まれるという状態になる。

なのだが、正直、自分の送別会も、他人の送別会も、そもそも飲み会というものに行きたくないというメンタルになった私にとって、ぶっちゃけ苦痛以外のなにものでもない。

特に、普通の飲み会と違って、自分の送別会では、スピーチをしなくちゃならない。自分に注目が行くのが、メンタルが弱くなると(というか弱ってなくても、性格的に)本当に嫌なのだ。どれくらい嫌かと言うと、人の視線が怖くて、泣くのを我慢して話さなくちゃいけないくらい、本当に嫌なのだ。

普通の飲み会ですら、正直あまり楽しめないのに、更に苦痛ポイントが加算されて、本当に辛い状態になる。しかも、そういった気持ちは、送別会を主宰するような幹事タイプには、全く理解されない気質というのもあり、不幸な行き違いが生まれているような気がする。

仲の良い、いつも一緒に仕事している数人のチームの送別会では、正直に自分が送別会というものが苦手なことを伝え、ただのちょっといい焼き肉を食べる会にしてもらった。こじんまりとした、普段から気の知れた仲間同士というのもあって、そちらは平和に終了。いや、こういうのでいいんだよ~~~~~~~と全世界に叫びたい。プレゼントもスピーチもまっっっっったくノーセンキュー。

この人たちと離れるのはちょっと寂しいな~~と思えるレベルの人達がいれば、その人たちと好きなご飯を食べに行ってちょっと語る。わたしにとって、それがベストの送別会なんだよ~~~~~!!!!

昨日は、十何人と集まった送別会で、そちらは、プレゼントもスピーチもがっつりあった。でも正直、あんまり仲良くもなかった人らからもらうプレゼントほど、気まずいものってなかった。こんなこと思うなんて、せっかく用意してくれたのに、本当に最低と思う。だけど、今は喜ぶ演技すら上手くできなくて、ごめんなさい、という気持ちでいっぱいになってしまった。本当は、こちらの送別会は断るべきだった。だけど、「ここで断るなんて非常識」っていう、自分の中の「嫌われたくない」という気持ちに負けてしまった。送別会中も、早く帰りたくて、スマホをチラチラ見てしまったし、そんな自分に気づいた人もいたと思う。嫌な気持ちにさせたよな。実際、早く帰ったし。ごめんなさい。こんなことなら、断るべきだった。。。という自己嫌悪で、いっぱいになった。

もっと全体の、大きい送別会の方は、ちゃんと断った。断れた自分、ひとまず偉い。幹部の方には本当に申し訳ないけれど、送られる側が自分以外にも数人いたというのもあって、正直断りやすかった。

フランクなイメージのあるアメリカではどうなんだろうと思って、ちょっと調べてみたら、やっぱり大分ラフだった。そもそも人の流動が激しいから、送別会すらないことも多々あるし、やったとしてもランチ会や、仕事終わりに軽く集まって各自集合・各自解散、ってな感じらしい。それはそれで寂しいなってちょっと思っちゃうけど。

結局、何を良しとするかなんて、住む場所が違えば全然違う。同じ日本人でも、感じ方は全然違う。

自分を貫くのって難しい。「自分の送別会に行きたくない」っていう気持ちを貫くために、「非常識な人」「人とうまく付き合えない根暗人間」(そこまでは思われない?笑)と思われるリスクを負ってでも、行動できるかって言われると、それはそれでしんどいのよね。流された方が、楽なことって、世の中にほんっとに多いんだよね。

でも、流された結果、やっぱり自分の心はちょっと削れてしまう。これが積み重なると、回復が追い付かなくなって、「これ以上はヤバい」一線を超えてしまうことがあると、私はもう知っている。

だからやっぱり、断るのだ。

嫌なものは断る勇気をもつんだ、と自分に言い聞かせてみる。

自分も、大切な人も、同じように大切にできたなら、それはとっても幸せなことだと私は思うのだ。

しっかし、今日は何もしてないのにまだ疲れてるなぁ。

ゆっくり休もう。

では。

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