2024年6月、とある土曜日。久しぶりの日記。
最近仕事が忙しく、久しぶりのお休みだった。が、結局出張中のため、仕事の人達とBBQして過ごした。
昔は、そういう場が本当に苦手で、今でも苦手だけど、少し慣れた。
昔は、つまんなそうな顔にならないように頑張って笑わなきゃとか、自分がどう見られているかばかりに気を使っていて、ほんとうに疲れてしまっていた。純粋に、色々な人と喋るのも苦手だった。社交的に自分を見せなきゃという呪いにかかっていたんだと思う。あと、面白い話ができないんだからせめて肉を焼かなきゃという呪いね。
だけど、今は、みんな大して自分のことなど見ていないということが分かっているので、少し楽になった。
肉を焼くのは、場数をふむとわかるが、「自分が焼きたい人」という人が一定数いるので、そういった方がいる場合、ありがたく任せる。そういう有り難い人がいない場合、近くにいたら手伝う。これで充分。無理して「自分がやります自分が!」となる必要は無い。空いている飲み物を少し気にして、新しい飲み物を持ってくるとか、肉から遠い人達のところに、焼けてる肉や野菜を別皿に取り分けて近くに置いておくとか、自分に出来ることをすればOKなのである。
そして、社交的でなくてはならないという思い込みも、全然捨てて良い。無理して自分から喋らなくても、全然いいのだ。むしろ、自分のことは聞かれるまでは話さないとか、余計なことを言わない方が、余程好印象だったりする。
「自慢話をしない」
そして、
「誰かが傷つくことを言わない」。
不思議なもので、これだけで自分の評価は勝手に上がっていく。
まさに、「沈黙は金なり」、である。
それに、無理してニコニコしているのは、大抵バレる。私も、そういう人は見てて一瞬で分かる。無理して話すのも同様。却って痛々しいというか、気を使わせてしまったりする。
だから、苦手なら苦手なりに、
- 大人しく聞き側に周り、時折相槌を打つ。(疲れたら気配を消す。これを覚えとくだけでだいぶ違う)
- 分かる~、確かに~、だけだと流石に飽きるので、時折質問を挟んだりする
- 時折、(疲れていなければ)空いてる飲み物や食べ物を気にしてみる
くらいで、実は充分なのだ。
そして、途中で帰るスキルもとても重要。もうちょっと居てもいいかも…と思うくらいで帰るのが、実は一番良い。なぜなら、ダラダラと居座ると、夜中まで飲むコースになってしまい、場もどんどん盛りあがってきて、余計帰れなくなるからだ。そして、夜中の疲れと人疲れとで、不機嫌そうに見えてしまうという、負のループにハマってしまう。
なので、繰り返しになるが、
「もうちょっと居てもいいかな、くらいのタイミングで、パッと帰る」
これが本当に重要である。
帰る時は、下手に言い訳せず、
「じゃあ、そろそろ私は帰ります!」
で、スパーンと帰る。これが一番。下手な言い訳は無用。
「まだ帰らせないよ~~!」と引き留めてくれる優しい人もいるが、
「え~!また飲みましょ~!!」
と眉毛を八の字にして宣言すれば、大抵大丈夫だ。疲れているなら、「ちょっともう眠くなっちゃって!」とかでも全然OK。人間、眠いのはどうにもならんからね。
何度も言うが、これをみんなが深夜テンションになる前の、比較的場がまだ冷静な時にサッとやるのがマジで大事。深夜テンションになり、すごい盛り上がっている途中だと、逆に帰りにくいので。
以上、それなりに体育会系の職場にいる、現コミュ障なりの処世術でした。ぱちぱちぱち。
こっからは完全に蛇足。
でも、最近思うのは、コミュ障って自分のこと卑下する必要も、別にないのよね。人の話を目を合わせて聴く。相槌を打つ。自分にできる手伝いはやる。そして、無理して笑わない。これで充分、その場に溶け込めて、むしろ好印象を残していたりするのだ。
個人的に、無理して笑わないのは、最近大事だなって気がついた。これ、昔は、むしろなんでも笑って楽しそうにしなきゃ、とすら思ってた。
でも、無理して笑ってるのって、ほんとにバレるのよ。で、却ってナメられる。(か、優しい人に、「無理してない?」って、心配かけちゃうか。)
興味無いものはない、でいいのよ。ほんま。そこを無理して相手に合わせちゃうと、どんどん自分というものが無くなっちゃうからね。そこはある意味、一線を引いた方がいいかなぁと、個人的には思うのである。
その代わり、ちょっとでも疑問が湧いたり、興味あるなぁと思ったら、少し会話に参加する。これだけで、少なくとも「取っ付き難い寡黙な人」にはならんからね。
あと、その場に居ない人の悪口や、えげつない下ネタや、ルッキズム的な発言(言語化するの難しいけど、あなた昔芋だったけど最近可愛くなっていいと思うよとか、○○さん美人だよねとか、○○さんはあんまり心惹かれないわ~とか、人を外見でジャッジするような発言のこと。)もあるかもしれないけど、そういうの全部、真に受けないこと。
これホント大事な気がする。BBQとか飲み会に参加している時は、その場が全てって思いがちだけど、実は今だけの関係だったりするからね。職場の人間関係も、人事異動もあって流動的だったりするし、自分も環境が変わって、関わらなくなる人だって沢山いる訳だから。その人たちの言うことをいちいち真に受けず、「ふーん、自分とは価値観違うんだな~」くらいの気持ちでいること。
なんだろう、ある意味、相手に期待しないことでもあるのかな。もちろん、セクハラ・パワハラの類は許すべきじゃないけれど、「それ未満」だけど、自分にとっては不快だな、キモイな、傷つくなってこと、ごまんとある訳じゃん??
そういった、「私にとっての地雷」を踏まれる度に反応してたら、正直身がもたない。だから、相手がそういったことに配慮できる人であることを、ハナから期待するのを辞める、というか。
で、案の定地雷踏まれたら、心の中で、「あー、価値観違うってことが判明したわ。今後は距離おこう」、と相手を物理的にも心理的にも遠ざけて、その場は心をシャットアウト。
これ、自衛として結構大事なスキルな気がしてる。
でもねー、稀にいるのよ。自分にとっての地雷を踏まずにいてくれる人。なんと言えばいいのかな、変に気を回しすぎるような、優しすぎる訳でも無く、自由気ままな猫みたいな人というか。わたしは、そういう人こそ本当に心が純粋で、信用できるなぁと思ったりする。
不思議なもので、こういう合うか合わないかって、年齢全然関係ないんだよね。同年代でも、「その価値観はどうしても合わないなー…」って人もざらにいる一方で、だいぶ年上の方でも、「あー、この人は地雷踏まないでいてくれる、一緒にいて疲れない人だなぁ」って人もいるのよね。普通、同年代の方が考え近そうだけど、案外そうでも無い。不思議だよねぇ。
そういう人に出会えることもあるから、職場のBBQも飲み会も、まぁ捨てたもんでは無いかなぁと思う時も、あるけどね。そういう面って、案外そういう、仕事以外のシーンで、分かることもあるからさ。
なんか、別に「飲み会は時間の無駄!絶対行かない!」ってほどは思わないし、正直それなりに場に参加して、それなりに溶け込みたいけど、でもいざ参加すると疲れる、帰りたい、帰り道で1人反省会して更に自分で自分のメンタル削っちゃう…みたいな、すごーく中途半端なタイプなのよね、私って。
でもそれならそれなりに、うまーくやり過ごすやり方もあるよなぁと、最近思うのである。
以上、蛇足でした。
まぁ、無理せず、気にしすぎず、休みたきゃ休む。メンタルも身体も健康第一で、みんな生きてこう。
ではでは。
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