某有名アニメの「笑えばいいと思うよ」のパロディ…ではなくて。
こーゆうチクチク言葉を、誰しもが聞いたことがあるんじゃないだろうか。
「人前で泣くやつは社会人失格」
「泣けばいいと思って!」
とか。
そんな人には、宇多田ヒカルの「Time will tell」の歌詞を、そっと教えてあげよう。
泣いたって 何も変わらないと言われるけど
誰だって そんなつもりで泣くんじゃないよね
宇多田ヒカル「Time will tell」より歌詞抜粋
私自身の話をすると、わたしは昔っから、とんでもなく泣き虫だ。勉強でなかなか分からないところがあるだけで、悔しくてよく泣いてた。社会人になってからもトイレでよく泣いた。泣いた理由も、急に全くやった事ない仕事を押し付けられたとか、同僚に嫌味言われたとか、集合写真撮られるのがなんか嫌だったとか、車で物損事故起こしたとか…最後のは置いといて、まあ別に、そこまで号泣することでもないのでは?とあとから思い返せば思うのだが、その時はどうしても泣いてしまうのだ。もう、体質として泣きやすい体質なのだと思う。
そもそも、なぜ人前で(特に職場で)泣くことってこんなにタブー視されてるんだろう?と思っていたら、中村うさぎさんの著書『愛という病』の中に、
「女性の涙は、見る側に強制的な罪悪感を抱かせる。ビジネスの場は、あくまでロジックに基づいて動くべきところであるから、そこに、”涙”という全くロジカルではないものを持ち込んではならないのだ。同様の理屈で、男性の、机を叩く、大声で脅迫するのも、全く卑怯なのである。」
みたいな趣旨のことが書かれていた。
本当に言いたいところは、涙云々というより、大声で怒鳴ったり机を叩いたりする「(タチの悪いほうの)オジサン」の行為は、ビジネスの場においては全く場にそぐわない、とても卑怯な行為なんですよ、という方だと思うが、わたしは「なぜ、職場で涙を流すべきでないか」というところに深く納得してしまい、危うく人前でも涙を流しそうになる自分を反省した。
のだが、しかし。
この間、職場の人にその話をしたら、言われたのだ。
「別に、泣けばいいじゃん」
「てか、あなたの先輩の○○さんも割と泣いてたよ」
「泣いたら「あー、この人しんどいんだな~」って目で見てわかるし、それで感情が発散出来るんならいいんじゃない?」
とのこと。
んぬわぁぁにぃ~~~~?みんな泣いてんの??(みんなとまでは言われてないが)
ってかそんな感じでOKなわけ???
そんな考えアリ??
などと、かなり脱力してしまった。
「やはり人前では毅然とせねば!」
なーんて覚悟をしたばかりだったのに…
この会話をして以降、思ったこと。
異論は認めるけれど、わたし個人としては、「泣けばいんじゃない?」と言ってくれる職場の方が、働きやすいのは確かだ。なんせ、私自身がとんでもなく泣き虫体質だから。
ぶっちゃけ私も、いきなり職場で人がポロポロ泣きだしたら、それはもうびっくりしちゃうだろう。どうしたらいいか分からず、オロオロしてしまう自分が容易に想像できるし、自分に余裕がなければ、それこそ「泣きゃいいってもんじゃないよ!」と、イライラしてしまうかもしれない。
でもそれって、みんなが”涙”を過剰にタブー視してしまっているから、とは考えられないだろうか?
「そもそも人間は泣く生き物」
「まぁ~、○○さんもよく泣いてたしぃ~、わたしもすぐ泣くしなぁ~」
くらいのテンションでいれば、案外、泣いてしまった人がいても、過剰な罪悪感を抱くことなく、「あ~、この人シンドいんだな~~、ドンマ~イ」と、背中をさするくらいで済ませられるんじゃないだろうか。
なんだか、「人前で涙を見せてはならぬ!」という武士の精神でいるより、「泣けばいんじゃない?」くらいのゆるーい感覚でいた方が、案外みんな、生きやすい気がしたのだ。
という紆余曲折(という程のことでもないが)を経て、わたしは「泣けばいいと思うよ」と、いま現在トイレで泣いているかもしれないみなさんに、とりあえず言って回りたいと思い、ふとこのエッセイを書いた。
みんな、泣けばいいと思うよ。
誰だって、泣けばいいと思って泣くんじゃないもの。
トイレでこっそり泣くのもいいけどさ。たまには、上司にみんなの前でこっぴどく怒られた時とか、酷い嫌味を言われた時とか、やってらんねーよこんなん!って思った時とかさ。みんなの前でウェーン!!ってえぐえぐ泣いてみるのも、一興かもしれないよ。
では。
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