ひょんなことから、高校生向けに仕事内容について講演することになった。
正直乗り気ではなかったのだが、自分のキャラでないことにも挑戦してみようと、この仕事を受けることを決意。。。したはいいものの、早速頭を抱える羽目になった。
そう、自分は別にこの仕事が好きで好きでたまらない、というわけではないのである。
今でこそ研究職な訳だが、本当は幼いころから憧れていた出版社に行きたかった。でも、代々理系を貫いてきた我が家で、良い大学に行かせてもらい、自分で言うのもなんだが高度な教育を受けてきて、長い間努力も積み重ねてきて、それらをすべて捨ててまで研究職にならないなんて、そんなことを言い出す勇気も、行動する勇気もなかった、というのが、正直なところだ。
今の仕事は、とてもホワイトで、人に恵まれている。自分には恵まれすぎているといって良いくらいである。自分で言うなという感じだが、世間的にも、カッコいいといわれる類の仕事である。だからこそ、こんな仕事もたまに来る。が、いかんせん情熱が持てない。昔、本を読んでいるときに感じていたような、何もかも忘れて没頭するような、胸が熱くなるような感覚がない。いつしか、文句や言い訳が増えている自分に気づき、自己嫌悪に陥る瞬間が、しばしばある。
そんな自分が、高校生に向けて語れる何かなど、持っている訳がない。しかし、嘘はつきたくない。というわけで、すっかり困ってしまい、頭を抱えていたのである。
そんな時に出会ったのが、下記、女性100名山の、リッフ雅映子さんの記事だ。
文中の、”きっと私のあるひとつの価値観が脳裏にあるからだと思います。それは、「がんばってスキルを身につけ、世に貢献したい。がんばらなければならないし、そんな自分が好きだ」というものです。しかも、私の場合、がんばるというものの定義は仕事だったり、勉強だったりと狭いものでした。この価値観に従って生活できているとき、私のエゴは満たされていました。”という文章が、とても身に沁みた。まさに私のことだと思った。私も、ストイックに頑張っている自分が好き、という気持ちだけで、ここまでやってきた。本当は勉強なんて嫌いだったし、研究対象に情熱も持てないけれど、「それでも頑張っている自分が好き」だから、頑張っていたにすぎない。そんな、なんとも幼稚な自分に気づかされた。
と、幼稚な自分に気づいたからと言って講演の資料作成が進むわけではない。が、今後生きていくうえで、一つの大きな気づきになったと思う。それだけでも、この仕事を受けてよかった、と思った。この仕事を受けなければ、絶対に雅映子さんの記事にはたどり着かなかっただろうから。それに、雅映子さんの記事の、自分をまっすぐな視点で見つめ直す勇気と、それを文章に表してくれる誠実さは、私に勇気を与えてくれた。
すべてをありのまま話すことが、優しさや誠実さではないと思っている。私が子供の時、私の周りにいた大人たちは、「尊敬できる大人」でいてくれたから。だから私も、「尊敬できる大人」のフリが出来たらいいと思う。でも、それと同時に、自分が歩んできた人生と、20代の自分が今感じていること、今後こうやって生きていきたいと思っているという価値観を、少しでも伝えられたらな、と思いつつ、今日、あらかた資料作成を(やっとの気持ちで)終えた。
あとは野となれ山となれ。
コメント