「西の魔女が死んだ(梨木香歩)」の読書記録。2024/3に読了。
有名なタイトルだよなあ、学生が読む本なんだろうなあ、誰かが絶賛してたよなあ。どんな本なんだろう、とふと気になって手に取った。
あらすじ
中学生の「まい」は学校にどうしても行きたくなくなり、初夏のひと月あまりをまいのおばあちゃんこと、「西の魔女」のもとで過ごす。まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行で大切なことは、「すべて自分の意志で決める」ことだった。喜びも、希望も、幸せも。
意志の力をつける
おばあちゃん(西の魔女)の言葉で、最初にはっとさせられた言葉。
魔女修行をせがむまいに、おばあちゃんは、早寝早起き、食事をしっかりとり、良く運動し、規則正しい生活をとり、「意志の力を鍛える」ように言う。そんなことで?と食い下がるまいに、おばあちゃんは言う。
最初は何にも変わらないように思います。そうしてだんたんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するように出来事が起こるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とはさらに違う自分を見ることになる、それの繰り返しです。
「西の魔女が死んだ」(梨木香歩)より抜粋
自分の父がよく私に言った言葉と似ていた。「雪が降っても雨が降っても、やる気があってもなくても、何があっても、淡々と努力を積み重ねることこそが大切だ」と。
私が子供の時は、愚直にその言葉を信じて、学業に励んだ。
大人になった今、愚直に勉強してきた自分より、好きなことを好きにやってきて、なんだかんだ上手くいっていて、楽しく毎日を過ごしているように見える人たちに沢山出会った。愚直に勉強していた自分が、間違っていたように思えた時期があった。彼ら・彼女たちがうらやましくて、「なにがなんでも愚直に努力する」より、「いま自分が楽しいと思えるか」ということを大切にしようと思い、「淡々と努力する」ことは辞めていた。新しい趣味や熱中できることを見つけようと、何かに取り組んでは飽き、飽きっぽい自分にもがっかりして、という繰り返しだったように思う。
自分が楽しいと思うこと、欲望そのものに正直であることは、とても大切だと思う。怠けたいという気持ちに正直でいるときがあってもいいと、私は思う。その気持ちを押し込めてしまっては、幸せを感じることすら、難しいと思うから。
でも、時にはそういう気持ちをぐっとこらえて、「淡々と努力する」生き方を、私は再選択しようと思った。その人に合った生き方を選べばいいし、私は、淡々と努力して、いつのまにか変わっている自分に気が付く、そういった生き方をやっぱり選択したいのだと、この言葉を読んで思った。
ニシノマジョカラ ヒガシノマジョヘ
おばあちゃんは、最後、まいにメッセージを残す。まいはおばあちゃんの溢れんばかりの愛を感じて、涙を流す。
自分も、その愛には覚えがあった。大学受験の後、家族でご飯を食べに行ったこと。中学校の時、学校に行きたくないといった私に、母が私を映画に連れて行ってくれたこと。仕事ががんばれなくなってしまったとき、ただ一緒にご飯を食べてくれた人。元気になった後、声が元気そうでよかった、と職場で声を掛けてくれた人。さりげない大学時代のわたしとの一場面を、社会人になった今も、覚えてくれていた友達。
自分が受け取った愛を、いつまでも覚えていたい、とこの場面を読んで思った。自分がおばあちゃんになっても、忘れないように、ずっと、愛に満ちた人生を送るために。
感想
心の中の聖域
自分にとって、西の魔女は、自分の心の中の聖域に、ひっそりとしまっておきたい本だと思った。おおっぴらにこの本を大声でオススメするより、この本を同じように心の聖域に置いている人たちと、共通の言語で笑いかけ、目配せするような、そういう共有の仕方をしたい本だった。
私自身は、他人との境界線を引くことが苦手で、直ぐに他人の感情に影響されてしまい、自分の心の中の聖域は少しのきっかけで簡単に荒らされ、生き物としてのリズムは乱れてしまう。だが、西の魔女に言わせれば、自分が聴きたいと思わない音に惑わされないこと、自分を守り、意志を貫くこと、そのものが魔女の修行なんだろう。
幼い少女の死への恐怖を包み込むほどの優しい心、淡々と努力を重ねること、植物を愛おしく思う心、本を読むこと、規則正しい生活を送って、運動して、食事に気を付けること。
そんな、自分が幼いころからずっと教えられてきた、オールドファッションで、退屈で、当たり前のことを、わたしはどれだけ、これから先の人生で、実践することができるだろう。
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