【日記】送別会に行けない自分。

 2024年3月、木曜日の日記。

 年度末、送別会シーズンで、たくさんの飲み会が企画されている。

 今日も企画されていたが、自分はあらかじめ断っていて、行かなかった。

 行きたかった気持ちと、体力的にはしんどいので、あらかじめ断っていたことにほっとしている気持ちと、仲間外れのように感じて寂しい気持ちと、なんで自分は送別会すら我慢できないのだろうという自己嫌悪がないまぜになって、少し泣いた。

木曜日の仕事を振り返る

 今日は、本当になにもなかった。昨日夜なかなか寝付けずにいたので寝坊してしまったが、朝特に事件が起こるわけでもなく、淡々と仕事を処理していった。割と会議が多かったけど、肩の力を抜いて、思ったことを発言することもできた。

 つい数週間前まで、「やりがい(情熱)を持って仕事をしなくては」「もっと効率よく仕事を進めなくては」という思考が頭にへばりついていたが、最近は、

「日銭が稼げてればOK」

「今の体調で、フルタイム働いてるだけでかなり立派」

「私は真面目過ぎるきらいがあるので、むしろアルバイト気分くらいのほうが丁度良い」

と割とフラットに考えるようにしていて、そのおかげで体力をそこまで消耗することなく、今日を生き延びることができたと思う。

木曜日のアフターファイブ

 送別会を断ったので、まっすぐ帰宅し、すぐにベットにダイブ。最近は、仕事終わりに夕寝をすることが多いけど、眠いのに頭の回転が止まらずに上手く寝付けず、ベッドの中でモヤモヤタイムに突入することもしばしば。そんなモヤモヤタイムに感じたことを、ここに吐き出しておく。

 冒頭にも書いた通り、きちんとお別れしたい、また、体調も最近少し上向いてきたように感じていたので、送別会に行きたい気持ちも結構あった。

 直前まで、行くか行かないかで迷ったけれど、結局、下記の理由で行くのを辞めた。

  • 行ったとしても、最近の鬱っぽい体調では、お酒も飲めず、食事も楽しめず、うまく笑顔を作れず、それに対する罪悪感で更に消耗し、鬱っぽさがひどくなる可能性が高い
  • 過去に少し無理して行った飲み会では、人の話し声や食事の油の匂いで気持ち悪くなってしまい、翌日涙が止まらなくなったという実績がある
  • 職場の人たちは本当にいい人なので、飲み会自体は平和に終わると思うが、物言いがきつい人や、愚痴っぽい人、価値観や考え方が合わなくて、どうしても苦手な人はいるので、そういう人達と業務外で接するのは、今の自分にとって負担が大きい

 などなど。

 でも、やっぱり純粋に行きたかった気持ちもあった。まだお酒も飲めて、元気だったころ、割と飲み会は好きな方だった。気を使ったり、無理して笑う場面があったり、頑張って話を振ったり、負担がなかったわけじゃない。だけど、普段よりちょっとだけお洒落して行ったり、ほろ酔いになってケラケラ笑い合うのは、結構楽しかった。

 だから、行けなくて寂しいという気持ちや、送別会に来ないなんて…と嫌われたのではないか、という不安とか、自分のいないところで、みんな楽しんでいるんだろうな、と僻む気持ちや、最近すべての飲み会を断っていることに対する、罪悪感や、いろいろなことを感じて、胸が重たくなった。

 でも、体調的にはやっぱりしんどくって、無理して笑顔を作らずに、家で寝ていられることに、かなりほっとしていて、あの時断って本当によかった…と感じる自分もいる。「送別会くらいちゃんと行かなきゃ」という、世間の常識や他人の圧ではなく、自分の気持ちや自分の体調を最優先にして物事を決定できた、というのは、それだけで心がぽかぽかするというか、文字通りの「自尊心」を感じることが出来て、割と良かったなぁと思ったのも、また事実。

まとめ

 今日は、ひたすら「送別会に行かなかった自分」について語った。それだけ、矛盾する自分の気持ちが、苦しかったんだと思う。

 今日のまとめとしては、とりあえず、

  • 日銭以上のお金は稼いだ
  • 送別会には行かなかった(行けなかった)
  • 「行きたかった」「行かなくて良かった(ほっとした)」という矛盾した気持ちに苦しんだ

ってところかな。

明日は今日より、少しでもいい日になりますように。

では。

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