【日記】アダルトチルドレン?HSP?境界線パーソナリティ障害?いったい自分はなんなのか。

2024年5月、火曜日の日記。

食堂でぼっち飯しながら、寂しい寂しいと思っていたら、こんな記事を見つけた。

『「日本人の8割が“アダルトチルドレン”!?」生きづらさから解放される方法を元アダルトチルドレンのカウンセラーに聞いてみた』

「日本人の8割が“アダルトチルドレン”!?」生きづらさから解放される方法を元アダルトチルドレンのカウンセラーに聞いてみた(1/3)|ウォーカープラス
「アダルトチルドレン」(以下、AC)という言葉をご存知だろうか? 字面だけを見ると「大人になりきれていない大人」「大人…

この記事によれば、アダルトチルドレンの仕事面における特徴として、

「頑張る自分を演じてしまう」

「困っていても聞けない」

「ミスを怖がる」

「自分で決められない」

「本当は不満でいっぱい」

等の特徴があるらしい。

でもこれ、多かれ少なかれ、色んな人に当てはまるんじゃないの?と思ったりする。

誰だって、つい頑張る自分を演じちゃうし、わからないことを聞くのは怖いもんなんじゃねぇのかよ。

一体自分はなんなんだろう。HSPなのか、アダルトチルドレンなのか、境界線パーソナリティ障害なのか、躁鬱病なのか、なんなのか。

どれも当てはまるようで、すべてじゃない。

ただ、今この瞬間、なんとなく生きづらいという事実だけがある。

実は、自分の親が境界線パーソナリティ障害であったことが、つい最近病院の診断で判明した。

だから自分も、そうかもしれないとうっすら思ったが、境界線パーソナリティ障害の特徴を見ても、当てはまるものもあれば、全然当てはまらないものもあって、正直わけわかんねぇなと思う。

生きづらいと思う。どうしたらいいのかわからない。

仕事、やりたくない。仕事以外の自分というものを持ちたくて、勉強する。そうすると、少しだけ救われる。運動したり、腸活したりもする。そうすると、生きるエネルギーが少しづつ増えてくるのを感じる。いつも自分が責められているかのように感じる。集団の中にいると、息が詰まる。一人きりになったとき、本当に寂しくて、死にそうになるけど、一人になって初めて、息ができる自分を発見する。

でも思えば、小さいときからそうだった。集団の中にいると息が詰まった。自分がいつも間違ったことをしてしまうのがわかっていたから、いつも怯えていた。

勉強ができる子というものが優遇される年齢から、周りの大人たちの見る目が変わってきた。でも、私の本質まで変わった訳じゃない。

結局、良いこともあるし、悪いこともある。

誰かに依存してしまうこともあるし、一方で、実は孤独を愛している自分もいる。

人の痛みや要望は痛いほどよくわかるけれど、その分、自分の心も傷んでいく。

見捨てられるのが怖い。愛してくれない人にしがみつく時もある。

まあ、結局自分の生きづらさって、既存の言葉で語れる部分もあれば、まだ言語化できてないところもあると思う。とりあえず私は病んでいて、生きづらくて、でも自分はそれだけではないというか、くだらない、病んでいる自分の内にも、貴い何かを見つけることがあって、それでいいとは絶対言いたくないけど、でもまあ、それでいいわ。

って気がしてきた、今日この頃。

生きづらいのは自分のせいか、世の中のせいなのか。

わからないけど、『よくわからんがなんか病んでまーす!』って開き直るところからなのかな。

生きにくいよね。人生ってさ。

いつか楽になれるといいね。

では。

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