2024年3月に読了。
最近、一日に何度も、特に理由もなく涙が出たり、職場に定時分だけでもいることがしんどかったり、些細なことにイライラしたり、前は好きだったお酒が全く飲めなくなったり、無気力になったりすることが増えた。また、具体的な症状以外にも、感覚的に、「あ、これ以上はやばい」といった、胸の一部が抜け落ちるような感覚に襲われる時が、何回かあった。うつ病の最悪期とまではいかないまでも、少しづつ、前できていたことが出来なくなっているような、怖さがあった。だから、この本を手に取った。
概要
「20代はほぼうつ病」だった筆者が、当時やってみてリアルに効果があったこと、何とか生き延びるための工夫をまとめた本。
その中で、これは特に今後取り入れたいと思ったことを、下記に書き記しておく。
Level1 マインド編 01:うつ病前の自分に戻ろうとしない
今の状態になる前の自分は、周囲の環境の良さもあり、仕事中もよく笑い、意見を言い、我ながら明るくのびのびと、溌溂と働いていたと思う。飲み会や若手の集まりにもほぼすべて参加し、良く飲み、そこそこに騒いでいた(本来はそういうタイプじゃないけれど、そういうタイプに憧れて、演じている節は多少あった)。
いつから変わったのかはわからない。けれど、今は正直、出社することで精一杯で、誰の目にも止まらないよう、静かに過ごしている。信頼できる人にだけ意見を言うこともあるが、基本は目立ちたくないので、特に異を唱えることはしない。飲み会に参加することもあるが、お酒を控えていても、大人数の場に参加するだけで、途中から気分が悪くなり、帰ってきてからそんな自分が情けなくて涙を流す。
前の溌溂とした(または、溌溂としているように見せていた)自分に戻りたい。でも、戻れないと感覚的にわかっていて、そんな自分が情けなくて涙を流してしまうことがある。
だから、この言葉にとても救われた気持ちがした。
この章で、筆者は下記のように述べる。
うつ病の自分が考えるべきこと、それは「どうすれば今の自分が生きやすいか」ということ。
その日のエネルギーよりも消耗しないことだけに重点を置いて過ごす。それを毎日コツコツと積み上げた結果、うつ病になる前に近いからだと、新しい考え方の自分を手に入れることができました。
大切なのは、「前の自分に戻る」ことではなく、「新しい自分を作り上げていく」ことのほうにあります。
~中略~
うつになる前の自分は、「もっとがんばらなきゃ」「もっと成績を上げないと」「こんなに長く睡眠をとってはダメ」と、常識やプライド、責任感といった様々なことに縛られていました。もう、そこに戻る必要はないし、戻りたくもありません。
すべてから解き放たれている今の状態は、身軽だし、本当に心地がいい。余計なものに縛られていないから、未知の面白いものが入ってくる余地にあふれています。
うつ病で20代全部詰んでたボクが回復するまでにやったこと(デラさん)より一部抜粋
そう言われてみて、自分が小学生の時を思い出した。自分が小学生の時は、○○歳までに結婚しないと行き遅れるとか、かわいくならないと相手にされないとか、仕事にもっと情熱をもって打ち込んで市場価値を上げないとダメなんだとか、そういう「こうでなきゃ」という常識とか、プライドとか、一切なかった。友達と遊ぶのが楽しかった。ペットのハムスターがかわいかった。家族が好きだった。しんどいことも多かったけど、いまより身軽で、楽しかった。
それに、この状態になってから、気づいたこともある。この状態になってから、無理してはしゃぐことをしなくなった(できなくなった)から、その分、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分と向かい合っている時間が増えた。そして、自分が本当に好きだったのは、飲み会や、海外旅行や、大人数でワイワイ遊ぶことじゃなく、心が通い合っている人とご飯を食べることや、本を読んだり、音楽を聴くことだったんだと、気づくことができた。
下記の日記「みつみ的なわたしを再選択する」の章でも少しこの話題について触れたけれど、これからは、そういう新しい自分を大切にしたい。
Level1 マインド編 04:今日、死ぬかもよ?
筆者は25歳の時、ふと思い立って、自殺を試みる。特に嫌なことがあったわけではなく、真昼間に。お金がない。働けない。週2のバイトすら満足にできない。社会のゴミ、死んだ方がいいー。
そんな思考に支配され、包丁を手に取るも、死ねなかった。包丁の鋭い刃を見て、「痛そうだ」と思い、ビビッて死ねなかった。
そんな経験をした筆者は、「いつ死んでも後悔のないように生きよう」と思うようになる。
「今日死ぬなら」今はこれがしたい、これを食べたい。この人に会いたいー。
これを、シンプルに繰り返すだけ。
~中略~
「今日死ぬなら」に慣れたら、1週間単位で考えるようになりました。「1週間後に死ぬなら、こんなことがしたい。これにチャレンジしてみたい」。さらには、1年単位で「将来的に、これがやりたい」。こんな感じで、「死ぬまでの期間」を延ばしていき、ゴールから逆算して生きるようになりました。
うつ病で20代全部詰んでたボクが回復するまでにやったこと(デラさん)より一部抜粋
個人的に、この考えは、飲み会や遊びの誘いを受けるか、断るかの基準にすごく使える。
もし、今日死ぬなら、この飲み会に参加するか。
もし、1週間後に死ぬなら、この人たちと遊びに行くか。
いつかは本当に死ぬ。遅いか、早いかだけの話で。もしその日が「今日」だったら、この人とご飯に行くか。遊びに行くか。
Yesの時は、ためらいなく行く。Noの時は、きっぱり断る。
以前は、「ここで断ったら、ノリ悪いって思われるかも」「職場で孤立するかも」「変な奴だって思われるかも」と思っていたし、断らない方がその場はラクだったから、なんとなく行ってしまっていた。要は、今も昔も変わらず、「仲間外れ」が怖かった。
でも、明日死ぬと思うと、そういうのが一気にどうでもよくなる。大きな声では言えないが、どうしようもなくなったら、本当に明日死んでしまってもいいのだ。もしそうなったら、どうする?と自分に問いかけると、案外、答えはシンプルだったりする。
Level3 生活習慣編 19:食いたいものを食う
筆者は、「今、これを食べたい」というシンプルな欲望のみに従うことで、脳の疲労を防ぎ、自然体で生きていけるスモールステップにもなると述べる。(ただ、小麦はメンタルに良くないので、ゆるく制限しているそう。)
値段や旬は考えない。とにかく、自分の「食べたい」という欲望が最重要事項。
~中略~
繰り返しになりますが、ボクが従うのは「今、これを食べたい」というシンプルな欲望のみ。こうして自分の気持ちに毎回応えていると、米と肉ばかり食べることになります。
でも、それでいいと思っています。「野菜も食べなきゃ」「米ばっかり食べて、糖質取りすぎかな」とかは一切考えません。というのも、米と肉ばかり食べ続けていると、ある日突然、あっさりしたものが食べたくなるのです。人間の体というのは不思議なもので、自然と帳尻合わせしてくれるのでしょう。そうなったら、その日はサラダを選んで食べます。いわば、逆チートデー。
うつ病で20代全部詰んでたボクが回復するまでにやったこと(デラさん)より一部抜粋
自分は、ダイエットのために、自炊して、タンパク質と野菜中心の生活を送っていた。コンビニ弁当なんてもってのほかだし、弁当を作る時間がなくて社食を食べた日は、翌日の朝を抜いた。白米は食べず、玄米と大麦と大豆をまぜて炊いたものを主食とし、牛乳は豆乳に置き換えた。旅行に行くときは、自分より小食な細い子と自分の食事量を比べて、心がチクチクしていた。美容代にお金を使いたかったから、お菓子や果物は買わず、節約していた。
そんな自分だから、この言葉を実践するのは、実は今でもかなりの心の葛藤がある。明日死ぬかもしれないんだから好きなもの食べなよ、と自分に言い聞かせても、いや、明日にはニキビがきっとできるし、最近二の腕が気になるし。。。と、こんな調子で。
でも、この言葉を実践するために、昨日はス〇バで、シナモンロールと抹茶ラテ(パウダー多め!!)を頼んだ。美味しくてほっぺたが落ちるかと思った。今日は、(牛乳はまだ葛藤が残っていたから)豆乳でココアを飲んだ。昼は、家事するのが嫌だったから、美味しそうなコンビニの弁当を選んで食べた。白米は、揚げ物とあわせて食べると満足感がすごかった。昼に沢山食べたので、夜は大根とか、タンカンで割と満足した。
染みついた「太ること」への恐怖は、なかなか消えるものじゃない。それに、「自炊しなきゃ」という気持ちも。でも、フルタイムで仕事しているのだから、無理して自炊も完璧にこなす必要なんて、本当はないんだ。それに、改めて思い返すと、私は大して料理が好きではない。少なくとも、仕事終わりにヘトヘトになった状態で、料理がいい気晴らしになる、といったことは絶対にない。外食が太るから、めんどくさいけど作っていただけだ。それがいつのまにか、SNSの影響で「もっと上手に自炊できるようにならなきゃ」という気持ちにすり替わり、暇があれば料理関係のYoutubeみたり、インスタでレシピをチェックしたり。。。好きでもないのにそんなことをしていれば、そりゃ脳も疲れちゃうわな。
これからは、自分が一番楽な方法で、自分が食べたいものを食べる。心の葛藤とも、うまく付き合っていこうと思う。
所感
ほかにも沢山、気づきのある言葉があったけれど、「これだけは自分の生活に取り入れたい」と思ったことを3つ、取り上げてみた。
「常識やプライドを捨てて、どうにもならなくなったら明日死ねばいいや。」あまり人には言えないけれど、一旦こう考えてみると、割と心が軽くなるし、筆者が本の中で言ったように、「最悪」という心のお守りになる。
それに、いったんそうやってまっさらな思考に戻ると、今の自分って、全然悲観する要素ないじゃん、ということにも気づけた。給料もらってるし、家あるし、本読めてるし、音楽聴けてるし、テレビで映画観れるし、家の植物には癒されるし、こうやって文章を書くこともできるし、自分で言うなという感じだけど、割と頭良くて、勉強することも苦にならないタイプだし。友達もいて、家族もいて、みんな大好きだし。
仕事に関しては、今から数年後、十数年後を想像することはすごく怖い。だけど、どうにもならなかったら明日死ねばいいや、と思うと、怖さが和らぐ。そして、自分が本当にやりたかったことは、数年後もこの会社にいることじゃなく、数年後も、こうやって本を読んで、文章を書いて、植物育てて、動物を飼って、心がポカポカする人と一緒に過ごすことなんだと、気づくことができる。
それでもやっぱり、お金が無くなることはどうしようもなく怖いし、ある日自分が会社からいらないと言われる日が来るんじゃないかって、おびえちゃうんだけど。でもやっぱり、「そうなったら死んじゃえばいい。そうなるまで、ちゃっかり給料もらいなよ。最悪、サツマイモとタンカン育てといて、それで飢えをしのげばいいじゃん。」と思う。そんな感じで、「怖い」と「死ねばいい」との間を、振り子みたいに繰り返している(笑)。それもまた、現実の自分だ。
ただ、今はやっぱり、「脳を休ませる」時期なんだと思う。だから、未来のことを考えることを、なるべくやめようと思う。今がどんなに恵まれていても、わたしという生き物は、どうやったって未来が怖くなってしまうようだから。
「○○しなきゃ」星人が頭の中をぐるぐる踊り始めて退場しようとしないとき、未来が怖くなってしまった時。それでいて、まだ活字を読む元気は少しはあるとき。そんなとき、この本を「お守り」として、また読み返そうと思う。
コメント