2024年3月の、とある月曜日の日記。
夜、晩御飯を友達と食べた後、スキマスイッチのLovin’Songを聴いて、うるうるしていた。
ぽかぽかキスがもう見れないのかと思うと、本当に泣けてくる。
でも、幸せって、特別だけど、実はすごくありふれてて、当たり前にそこにあるものなんだって、この曲に気づかされた気がする。
例えば、一緒に晩御飯を食べてくれる友達がいること。言いたいこと言って、なんでもない話をぽつぽつ言い合って、こころがぽかぽかして、家に帰宅した。
今日は、朝会社に行きたくなかった。行きたくないだけじゃなくて、なんか、これ以上いったらやばいんじゃ、っていう、胸が押しつぶされるような、心の一部が抜けて落ちてくような、「あ、これ以上はやばい」そんな感覚がして、怖くなった。
自分の中にいる赤ちゃんがぐずってるんだと思い、ゆっくりジャズを聴いて、本を眺めていたら、落ち着いた。ここでリズムを崩したら、二度と会社に行けない気がして、「顔出すだけでも1億点。いるだけですごい。こわいね。外に出るとこわいよね。でもだいじょうぶ。」と言い聞かせて、出社した。だけど、昼を食べた後あたりから、あ、泣いてしまうなと思う瞬間があって、小一時間ほど人目につかないところで泣いていた。
泣いているとき、もう、頑張って泣き止もうとするのをやめたのが、今日よかったことかもしれない。「おーおー、思う存分泣けよー」と思いながら、「しんどいよー」という気持ちを垂れ流したまま、ぼーっと泣いた。窓から見える木々の葉が揺れているのに気が付いて、少しづつ、涙が止まった。頭の中で、うさぎの赤ん坊が、目をうるうるさせながらぐずぐず言っているイラストを思い浮かべたら、少しクスっと笑えて、心の中の赤ん坊はまだぐずっていたけど、よーしよし、だいじょうぶだからねーとあやしながら、水分補給して、自分の机に戻って、コーヒーを飲みながら、のんびりと作業を再開した。
もうすぐ、会社も異動の季節だ。飲み会も増える。でも、もう無理しない。心の中の赤ちゃんに、無理やりお酒を飲ませるなんてことはしない。自分の心も体も赤ちゃんになってるんだから、行けないものは行けないのだ。そうだ、お昼は、自分がもうそういう飲み会の場で明るく振舞えないことに、明るく振舞えないどころか、参加すらできないことが悲しくて、もう元の自分に戻れないんじゃないかって思って、それも含めて、なんだか悲しい気持ちがしていたんだった。
いまでもそう思うと目がうるうるとしてくるけれど、しょーがないものはしょーがないのだ。無理はできないし、せっかくなら、家でジャズ聴いて、文章書いて、お絵描きして、スマホいじって、ダラダラごろごろしようじゃないか。せっかく生まれてきたんだから、ゆるくたのしくやろうじゃないか。
立ち止まって見上げた空 涙がどうにも止まらない
セピア色のフレームの中 寄り添い愛してくれた人がいる
終わらない夜に怯えていたら
歌ってよ 歌ってよ あの頃のように
『Lovin’Song』より抜粋
ここが本当に好きな歌詞。ずっと続いていく一人の夜に、変わってしまった自分に、心がつぶされるような怖さを覚えるときがあるけど、それでも隣で一緒にご飯を食べてくれる人がいて、心動かされる音楽をこうして聴けるのなら、わたしってすごい幸せ者だ。みんなありがとう。
今日はいい日だったな。
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